薄汚い街だけ好きなのかもしれない

年度末で色々あって人と会ったりはできない。仕事が色々で、他に気を向けられないのでは、何だか本末転倒な気もしてしまう。

 

月曜日

毎日通る道はどちらかというと薄汚い繁華街で、自転車が街路樹のツツジにめり込んで止められていたりする。それでも蒲田で見た放置自転車が完全に歩道をふさいでいる様や、川崎駅前で自分の自転車に倒れ掛かった別の自転車を壊そうとしていたおじさんに比べると何ということはない。何かの花が咲いていた。ツバキだろうか。薄汚い街で花が咲いていると違和感があるようだけど、土と水さえあれば咲くのだからどうということもない。その違和感はこちらの勝手な思い込みから生まれてくるものだ。

 

 

火曜日

雨の朝の中華街を歩いた。雨の日の早朝はほとんど誰もいない。看板が出しっぱなしだったり、うっかり電灯がついていたりもする。どちらかというと小さい道のほうにその傾向が強い。大きな通りはいくらか整然としている。

 

異動がないということがわかった。1年間、異動を心待ちにしていたので動揺する。上司から説明のようなものを受けた。リクルートエージェントかなと思う。何とも面倒くさいけれど。やりたい仕事を探すためには、やりたい仕事があるのかを考えなければならない。

 

水曜日

村田紗耶香「マウス」を読んだ。小学生の女の子が周りに合わせてどうこうとあらすじにあったので、いじめの話かと思って家にあるのに読んでいなかった。そういう話ではなく、むしろ爽やかな話だった。「コンビニ人間」と随分違う。

 

 

木曜日

ビルが壊されているのを見た。期間限定て好きですか。あるビルが壊されると、隣のビルの側面が衆目にさらされる。このビルの側面は、本来人目につくことを意図していないことが多い。変なところに窓があったり、タイル張りが途中で終わっていたりする。そういうのは写真に撮ってみたくなる。つまり僕はけっこう好きです。

 

内田樹「コモンの再生」を読む。内田樹の本はけっこう持っているのだけど、韜晦した自己顕示が鼻につくなと思って読みたくなくなる時期がある。それでも久しぶりに読むとおもしろい。家族や社会を前提にしない個人を想像するのはやはり難しい。英米とは文化的な成り立ちが違う。ひろゆきともたぶん違う。

 

 

金曜日

職場の上司に別室に呼ばれる。腐らず、かつ今の仕事を続けるよう言われる。条件面で配慮してもらえたので何だか申し訳ないような気持ちになる。つまり説得はされる。転職も考えてはいる。考えてはおきたいところ。600万円見込みとチカチカする色合いに驚かされるバス運転手募集の広告。時代は変わりつつある気がする。

 

土曜日

キジが家の前を歩いていた。遠慮する素振りはない。鳥に先住権があるとも言える。こいつの娘(幼鳥)が飛んできて、ウチの壁にぶつかって死んだ。責任の一端は感じる。かつてそこに壁はなかった。プールで泳ぐ。平泳ぎの仕方を教わったけど、手前で股関節の柔軟性が足りない。そんな動きは取れない。泳ぐのは疲れる。痩せるだろうか。明日は栃木まで行く予定でいる。