河川敷、花、銃

河川敷の公園にテントを張って過ごした。とても広い場所なのだけど、ウィルス騒ぎですることがないのであろう人たちがたくさん散歩していて、いつもより賑わっている感じがある。楽しい雰囲気であっても、浮かれてはいけない。冷静な気持ちでビールを飲んだ。貰い物の600円のビールが、今日初めて、600円なりの味に思えた。

 

家に招いていた友達から、調子が悪いので行かないでおく、という連絡があった。いまが常ならざることを思い出す。

 

小学生が川に入って、泥を投げ合ったりしている。一瞬懐かしい風景のような気がしたけれど、僕だってそんな無邪気な世代ではなかった。どこかで記憶の改ざんが起こったらしい。この辺の川は綺麗ではないのでは、と少し心配になる。子供だから大丈夫なのか。

 

この数日、美味しいものが食べたかった。雨が降ってきて、結婚記念日だということを思い出した。ケーキを買いに行った。店内には、感染防止のプレートみたいなものが設置されていた。

 

プレート越しにケーキと花を買う。なんだか終末もののSFのワンシーンみたい。

花の写真を撮ると、ナイフと銃と、2歳の娘の手も写った。料理をしていたらしい。

 

f:id:fn7447:20200412174624j:plain

 

公園、ウィルス、仕事に関すること

子供が妻方の実家に行くというので、散歩のついでに歩いて送った。片道30分くらいの距離。街のいたる所にウィルスは潜んでいるが、春の日差しはとても暖かで、心の底から穏やか。大概の子供たちが行く場所を失っているので、公園などは常より混んでいる。それがどう捉えられることなのかは分からない。個人的には、生活がなんとなく穏やかになったような気がしているる。

 

いつも通らない道で曲がってみたら、知らない公園があった。綺麗なお母さんをなるべく意識しないようにしつつ、隠れんぼをしたり、木の棒で斬り合ったりして遊んだ。知らない道の脇では、知らない花が咲いていたりする。

 

それでもスーパーに寄ってみると、今が非常時だということが分かる。バナナを5房くらい買っている人がいて、どうするのかと思ったけど、冷凍が効くらしい。考えたこともなかった。おにぎりとかもたくさん買っていて、明日にも氷河期が来ないと間尺に合わない、と思って、心の中で少し揶揄した。でも誰を守るとかいうのはそういうことなのかもしれない。

 

僕だって、子供のためなら、おにぎりを余分に買うことも辞さない。不要になれば、それに越したことはない。罪悪感を持ちながらも捨てるだろう。そのうちに治療薬も開発されるだろう。余った食材のことは、後ろめたさとともに笑い話になる。

 

ただ、この閉塞的な穏やかさが必ずしも嫌いではないと思う。

 

働かないでいいし。それが理由な気も、とても強くする。

f:id:fn7447:20200105222217j:plain

年始の連休が終わった。休みごたえのある日数だった。それなのに、どこか物足りないような気もする。誕生日に周りからさんざん祝ってもらった、その次の日のような気持ち。少しでいいから余韻が欲しい。

f:id:fn7447:20200104133839j:plain

戸塚駅近くの河川敷にタンクトップの人がいた。1月4日は僕の認識ではまだ正月であり、冬だ。けれど今日は天気が良くて、あるいは暖かいとも言えたのか。言えただろうか。間違いなく寒かったと思う。体格のいい青年だったので、脱いでみたかったのかもしれない。飛行機雲がたくさんある青空だった。

この川は柏尾川。川上に歩いているつもりが、海の方に向かっていた。だいぶ歩いてから気がついた。川面に続く階段では、鳥に餌をやっている親子、一人でストロング缶を飲む老人、ただ座っている若い男などがいた。取り止めがない。街路樹のようなものが流れ着き、枯れるのを待っている風情。

3時くらいになると太陽の光は弱くなり始める。東の方から空が曇って、そのうちに雨が降った。昼過ぎまでなら、歩くのにとても良い季節。

新年3日目。いつの間にか2020年になっていた。永遠に来ない未来の話かと思っていたのに。それは火星で自動車が空を飛ぶみたいな響きだった。だけど今、テレビでは駅伝を放送しているし、正月だからと餅を食べる。日常が特に変わらない。どこかで何かが起こってはいるにしても、足元の変化はそれほどない。

昨日は駅前の立ち飲み屋で酒を飲んでいた。店内では誰もが金がなさそうで、社会的な背景もよく見えない。バラエティ番組がそれなりの音量で流されていて、それを見ながら飲んでいるらしい人が多かった。僕らは日本酒をやたらと頼み、途中から脈絡を欠いた会話を繰り返した。会計をすると異様に安い。どこか別のテーブルと間違えられたのか、そういう店だったのか。

目が覚めたら頭痛。新年早々に何をやっているのかと思わないでもないけれど、酒を飲む以外に、他所で気安く時間を使う方法を知らない。今日は2020年だというのに。大人というのがそういうものだとは想像しなかった。僕の知らないところで社会が激しい変化を遂げ、人工知能が不平等を排し、ナノテクノロジーが二日酔いを身体から除くようになりつつあるのかもしれない。僕は餅を食べながらその日のことを夢見ている。窓からの陽光が心地よい。

秋になって、夕方に寂寞とした雰囲気が漂うようになった気がします。一般的に洒落た響きのありそうな市に住んでいるけれど、住居は山間部の方なのでそういったものとは無縁であり、山の向こうに太陽が沈んでいくのを眺める。少し前までは、これでようやく涼しくなる、と感じたけれど、すでに暑さもないこの頃は、ただ一日の終わりを感じさせる。空が高くなって、残照が映える。

 

近所の神社でお祭りをやっていました。薄汚くなった壇に、何年前から渡していないのかという景品が並ぶ輪投げ、やってみたけれどとても入るようには思えない。それなりに流行っていました。並ぶ提灯と、特に心踊らない屋台の連なり。すぐに帰ってしまったけれど、9時くらいに窓から見てもまだやっているようだった。祭りをすっきり終わらせるのは難しいと思います。そろそろ終わってほしい、というのと、これで仕舞いなのが惜しいのと。そして最近は、その時間までいることがなく。

台風で倒れた街路樹は輪切りにされていました。倒れた街路樹のあとはどうするのかと思います。新しい樹を植えるにも、並びで1本だけこじんまりする不揃いを思い浮かべ、かといって間が抜けたままにするというのも、空白が目立つ気がします。「無い」ということが強く主張される。信号機は斜め上を向いていました。これは早晩直されるのかと。

 

昼に後輩とカレーを食べたのだけど、夜も気がついたらカレーを食べていました。カレーはすごいと思う。何度食べても美味しいのだから。