悪徳の街で串カツを食べる

日に日に暖かくなっていく。少なくとも基調としては暖かくなる。ある朝が寒いとしても、それは去り行く寒さ。

 

月曜日

スマホ脳」を読む。漠然とだけど、今までもスマホでニュースを見てしまうことにストレスを感じていて、それなのについ見てしまう、なぜなのかと不思議に思っていた。その理由を明確に説明してくれる。

 

情報を入手することは生存に有利な行動で(あそこにはよくライオンがいる、とか)、脳内ではドーパミンの放出で報いられる。でも情報の入手自体は危険予測なのでストレス源にもなる。そして僕たちはスマホを得て、とんでもない情報量とストレスにさらされることになった。そのストレスは仲間とライオンの出没情報を交換するのとは比較にならない。大変、という趣旨。

 

スマホをカバンの中にしまって仕事をする。明らかに集中できる気がする。影響されやすいだけなのかもしれないけれど。

 

火曜日

職場の別部署と打ち合わせ。相手はパワハラで有名な人だった。別の部署間で話す分にはあまり問題ない。むしろ話が直截でわかりやすいとも言える。おそらく割と優秀な人で、それに合わせられない人に強く当たってしまうのだろう。けれどいかに優秀で、個人としては組織に有益でも、人の人生を悪くすることを正当化することはできないと思う。どのような目的があっても、他人の人生を損なってはならないのだ。カントもそう言ってた、たしか。

 

水曜日

前の部署で一緒だった後輩と昼を食べる。久しぶりに誘ったところ、どこかへ異動になるとかでお別れの挨拶かと訝られる。毎日同じ人と顔を合わせるのも飽きるので、定期的に外で食べるし、なるべく違う人を誘うことにしてるだけだと説明する。ローテーションに入ったのですね、と確認される。そのとおりです。

 

午後、平塚に出張。呼び出されたのに大した話でなくて拍子抜けする。せっかく平塚に来たので何人かに連絡したけれど、誰も予定が合わない。平日の夕方から暇な人はあまりいないらしい。変則勤務の人に連絡しても、週5日は働いているわけで。

 

木曜日

カーソン・マッカラーズ「結婚式のメンバー」を読む。12歳の女の子が主人公。思春期特有の思い込み、衝動に溢れてる。でも、若さは今と未来だけを見るものなので、どん底と限りない幸福の間を行き来することもできる。思慮深い黒人の家政婦が過去にとらわれているのと対比的。

 

金曜日

六本木の新国立美術館マティス展を見る。金曜日の美術館は20時まで開いていて仕事帰りにも行けるし、空いていることが多くてとてもいい。マティスは切り絵みたいな作が有名だけれど、油絵や彫刻もあり、果ては教会のデザインと司祭服の制作までしていたらしい。知らなかった。マティスリトグラフはたまに買えなくもない値段で売っている。いつか欲しい。

matisse2024.jp

 

その後、東京に住んでいる友人と会う。共働きの家賃を聞いて驚いた。タワマンにでも住んでるのかと思った。でもよく聞くと都心部の家賃はどこもそんなものらしい。店は串カツの田中。金持ちではない。六本木にもこんな店があるのだなと思う。入ってしまえばそこは串カツ屋。外が六本木なことはわからない。悪徳の街で食べる串カツはおいしい。帰るのに2時間近くかかって、自分が地方に住んでいることを認識する。

 

土曜日

近所を軽く走る。「スマホ脳」によると、軽い運動でも有意なストレス軽減の効果があるらしい。ストレスを恐れている。庭のルッコラに虫がつくので、酢を混ぜた霧吹きをする。薪を割っていたら、隣人に斧の重さのことを聞かれる。2kgて意外に軽いなと言っていた。昨日の六本木との落差がすごい。

 

夕方、自転車のブレーキを直してもらうために近所のアサヒに行く。5年くらい乗っている自転車で、スポークが削れていると言われる。自転車には思い入れがあるけれど、スポークを替えるのは高価なので、ブレークパッドの交換だけ頼む。2千円強くらいらしい。

 

薪はあらかた割ってしまって、やることが1つなくなってしまった。今年生まれたキジが飛んできて、家の壁にぶつかって死んだ。気の毒なことだった。雑草が花を咲かせている。走れば暑くて半袖になる。春になった。