女が嘘をつくとき - リュドミラ・ウリツカヤ -

嘘に関する短篇集。人が生きるために嘘をつくとき、それは必ずしも物質的な理由だけではないと思う。世界は個人の尊厳を守るために存在しないし、周囲の人間だってそんなものを尊重してくれるとは限らない。

 

派遣で解体工事に行ったことがある。ほとんどは若い人だったけれど、1人だけ40代の人がいた。その人は口を開けば昔の話をしていた。20代の頃は金融界隈のエリートで、数千億円のシステムを1人で作ったなどと。

 

僕たちは現場でも底辺の扱いだったせいか、妙な仲間意識が芽生えて、誰もアラ探しをしなかったけれど、そんなシステムはなかったと思う。その話は、その人にとって、背中を支えるものなのだろう。抜いてしまうと体が崩れてしまう。

 

ほかの人もきっと同じように感じていたと思う。一日、解体工事の現場監督に恫喝され続けた。日雇いだったから、二度と行かないでおこうと皆で話した。それでその後誰とも会うことはなかった。

 

嘘のことを考えるたびに思い出す。本当に辛いときには、作り話でもその人を助けるかもしれない。運がよければそれに耳を傾けてくれる人もいるかもしれない。

 

小説中では、嘘の発端は辛いときとは限らない(辛いときもある)。意図が不明確な嘘もある。聞き手は一貫して主人公で、奇妙な話に振り回されたりもするけれど、最後のほうではその作り話(のようなもの)に救われもする。

 

序文には、男の嘘が策略めいて現実的なのに対して、女の嘘は意味がない、といったことが書かれている。

 

いくつかの嘘は、より本質的だからこそ、現実との関係が混沌としている。そういった嘘には、即物的な手触りがない。嘘をついている自身にもそれを自覚できない。

 

ありそうな嘘から、本当によくわからない嘘まで並んでいた。どれも、普通に、凡庸に生きるより光彩を放つとも言えるのかもしれない。とてもおもしろかった。