人に優しく

宅配便でカーテンが届いた。届いたのは、氷結24缶パックを横に2つ並べたくらいの箱で、本当にカーテンが入っているのか疑問に感じる。

 

まだ開けていない。開けたら設置までしなければならない気がするから。それには精神的な助走が必要になる。今日は割と調子のいい日だけれど、いつ何がきっかけでやる気を喪失するかわからない。夜やろうと思う。そういうときは大体やらない。

 

職場の隣の席の人と、なるべく人ごみを避けて出かける方法を話し合う。病的なまでに他人を恐れている。そんな大人になる予定はなかった。

 

昨日まで「時が滲む朝」を読んでいた。天安門事件のころに中国の大学生だった人の話。作者の意図は知らないけれど、僕たちにも、生きる過程で失敗した小さな革命者の側面がたぶんある。

 

そもそも、何のための革命だったかも分からなかったりする。ただ、それは天安門でも、明治維新でも、同じなのではないかな。何かできる気がしたけど、何もできない。轍がなぜあるのかと言えば、そこをたくさんの人が通るから。

 

などと考えていると、やはり落ち込みはする。轍のうえをまっすぐには進みたくないなと今でも思う。だからどうすると言うと大変難しいのだけど。社会的なルールや道徳は、人を傷つけないための集合知でもある。

 

松本大洋の「何も始まらなかった一日の終わりに」も最近読んだ。人生を、ひとときやってきて、やがて去るもの、と捉える。耳慣れた観念も、優れた作品を通すとイメージしやすい。

 

むかし見た風景も、優しかった人たちも、どんどん世界から去っていく。辛いことのほうが下手をすると多かったけれど、思い出すのは笑ってる人とか穏やかな景色ばかりになる。たぶんそんな話。人には優しくしないとなと思う。