世界は終わるけど女の子を追う 『氷』 - アンナ・カヴァン

 

私は道に迷ってしまった。すでに夕闇が迫り、何時間も車を走らせてきたためにガソリンは実質的に底をついていた。こんな人里離れた山の中で夜になって立往生したらどうなるのか。そう思って愕然とした時、給油所の看板が見え、私は心底ほっとして、ゆっくりと車を寄せていった。

 

とても美しい書き出し。そして世界が終わる。そういうこともあると思う。想像できる範囲のことは起きうる。世界のどこかで未知の兵器が使われて、それが太陽光線の反射率を変えたとかなんとか、世界はどんどん寒冷化していく。

 

その寒冷化は、あるレベルで不可逆的になり、地球規模の凍結が起こり始める。主人公はどこかの主要国の情報機関に勤めていたらしく、例外的にはじめからこの異変を察知している(普通の人にはほとんど知らされていない)。

 

普通の話だと、主人公はその異変に立ち向かったりする。だけど、この小説ではそういったストーリーは一切ない。考えてみれば、地球全体が凍結していくなかで、人間にできることなんてほとんどない。

 

そして主人公はアルビノの少女を執拗に追いかけまわす。かつて恋をして、今は別の人間と結婚している。忘れようとして離れていたけれど、国に戻ってまた思い出してしまう。人類も滅亡するし。

 

アルビノの少女は、親から虐待を受け続け、自分の心情を押し殺して生きているようだ。主人公はその境遇から少女を救いたいようなことを建前にしつつ、誰よりも加虐の欲求も持っている。腕を折ったらどうなるかなど妄想する。少女もそのことに気付いているようだ。

 

結婚はうまくいかなくなる。少女は別の国に逃げる。その国のカリスマ的な独裁者に手籠めにされる。独裁者は際立って背が高い、青い目の男で、高いカリスマと支配の欲求を持っている。そして加虐、独裁者は少女を強く支配する。それは主人公がしたかったことなのかもしれない。

 

少女は逃げる。少女は逃げることしかしない。主人公は追い、独裁者は世界の権力に手をかける。その間も世界はどんどん氷に覆われていく。登場人物は全員そのことを知っているはずなのに、それをあまり気にかけていないようだ。

 

私は自然の世界に眼を向けた。自然は私と同じ感情を共有し、迫り来る運命から逃れようと無益な努力を続けているように思えた。波は水平線に向けて無秩序な闘争を続け、海鳥やイルカやトビウオは狂ったように空中を疾駆している。島々は揺らぎ、透明になって、みずからを海から引き離し、蒸気となって空に消え去ろうとしている。だが、逃亡は不可能だ。

 

世界は滅ぶ。北の方から、連絡が途絶える国が増える。残された国も荒廃していく。日常は不安に満ち溢れている。移動する力を持つ者だけが、熱帯付近に向かう。そこにも滅びの気配が迫ってくる。変色していく熱帯植物、奇妙な風など。

 

大変いい。破滅には一定のカタルシスがあると思う。この感じはなんなのだろう。おそらくけっこうな数の人が持っている感覚だと思う。

 

そうして、多くはない登場人物たちはそのことにあまり構わない。誰にとっても、滅ぶことは前提で、第一義的な問題ではないようだ。そんなことがあるか、と思って読むと、しっかりありそうに思えてしまう。少女が主人公を拒絶していたのかさえ、最後にはあやふやになる。何もかもがすごい。

 

私は恐ろしいスピードで車を走らせる。逃亡しているかのように、逃亡できると思っているかのように。だが、私にはわかっている。逃亡の道はない。氷から、私たちを最後のカプセルに包みこんでゼロに近づいていく時間の残余から、逃れるすべはない。私はその残された時間を最大限に活用する。時間と空間が飛ぶように過ぎ去っていく。

 

作者のアンナ・カヴァンはイギリスの作家。本作は1960年代に、作家が死ぬ前年に書かれた。長く精神を病み、重度のヘロイン中毒だった。本作はSF小説に分類される。作風は退廃、不安などと表現される。重苦しく不安で美しい。ほかに似た作風の作家を思いつかない。