花粉とともに春がくる

少しずつ春が近づいている。奇妙なペイズリー柄のカーテンごしにも、家庭菜園のルッコラが緑色を濃くしているのがわかる。西日がとても強い。日曜日の午後4時。

 

月曜日

今週も仕事に行くのかと思った。そう思うと同時に、近年テレワークや出張が多くて、1週間を連続で出勤したことがあまりない気がした。試してみたら結果的にはできたけれど、問題はこれが1週間ではなく、何十年も続くことであり、割りと切実にそんなことができるのか心配になる。

 

みんなは何で気力を奮い起こしているのだろう。周囲に聞いてもあまり明確な答えはない。多くの人が、なんとかぎりぎりで仕事の日々を乗り切っているのかもしれない。だとすると僕もその1人に過ぎない。

 

火曜日

森山大道「犬の記憶」を読む。40年くらい前に連載されていたエッセイらしい。これを読むと、森山大道が感傷とか記憶の固執を持ちつつ写真を撮っていたことがわかる。むしろそういう感覚を排除しないようにしていたようだった。写真の印象ではもっと硬質でざらっとした感じを受けていたので意外。

 

水曜日

いつも店主が店先を掃除している床屋がある。かなり古い感じの店。最近はその店主を見かけないので、店をやめてしまったのかと思っていたけれど、僕が時差出勤で早く出るようになっただけだった。朝の7時半くらいに歩いている。早朝というわけでもない。でもまだまだ人は少なくて街は半睡の印象。

 

夜、職場の同期と伊勢佐木町のプロントで飲んだ。1時間2杯ずつくらいの利用がしやすくて居酒屋より居心地がよい。プロントは全体におしゃれな印象があるけれど、伊勢佐木町のプロントはそんなでもない。街が持つ、場の磁場みたいなのが働くのだろうか。

 

木曜日

だいぶ疲れてくる。現代音楽の武満徹メシアンを試しに聴いてみた。疲れた心に余計に疲労が増すように感じる。どこへ向かっているのか。アルヴォ・ペルトとかは好きだけど、音楽的にどのように位置づけられているのかは知らない。

 

自己啓発本を読み始める。だいぶ厳しい。「スタンフォードの自分を変える教室」 たまらない題名だと思う。内容はおおまかには意志の力をどのように持つかというもの。例えば、今日やったこと(つい菓子を食べる、仕事をさぼる)は明日もやることだと考えるべき、など。仕事の仕方が変わる。たぶん元来が単純にできている。

 

金曜日


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相変わらず鎮静的な音楽を聴く。アルヴォ・ペルト。落ち着く。

 

同期の友人と昼食を食べる。目当ての店はいっぱいで、適当に入った店のランチが600円だった。煮込んだ感じのカレーでおいしかった。店名を見ずに出てきてしまう。もう一度行くことはできるけれど、誰かに話すことや説明することは難しい。

 

近く部下を持つようになるとして、そんなことできるかという話になる。同期は人や環境の悪口ばかり言っていて自覚もあるらしい。上司になるとそうもいかない。話すことがなくなってしまうと言っていた。そのとおりだと思う。当面は偉くならないのがいいという結論になった。ふさわしい者がふさわしい物を取るべき。

 

土曜日

木が切り倒されていた。その向こうで子供が遊び、老人が散歩をしている。

 

昼は自分の家の薪を割っていた。昨年末に丸太が届いたときにはとんでもない量に感じたのに、今ではほとんどを割ってしまった。張り合いがなくなるというか、少し寂しい気持ちになる。薪割りで疲れて、30分くらい眠る。

 

夜、友人とお好み焼き屋でご飯を食べる。焼くのは苦手なので、やる気のある人にお任せする。大概、誰かがやってくれる。運動部員が練習後に来たりしていたようで活気がある。4杯飲んでけっこう酔う。最後にもんじゃ焼きを食べた。お菓子みたいでおいしい。

 

日曜日(今日)

お付き合いで近所のカラオケに行く。1時間220円とか。プラスでドリンクバーも数百円。安いにもほどがある。

 

ただ、カラオケ「まねきねこ」はどこの店舗もうらぶれた雰囲気がある。床がずぶずぶ沈み、トイレのドアは鍵がなく(使用中の札を使う)、隣の人の歌声は丸聞こえだ。たいへん大らかな感じ。僕たちが忘れてしまった大切なことが「まねきねこ」にはある気がする。トイレの鍵だけは直してほしい。