マスを釣りに行った。見たこともない山道を、1時間以上車に乗った。そこは一緒に行った人の仕事関係の場所だった。誰かに見つかっても問題にはならないけれど、多少咎められる可能性があると言っていた。
僕は自分では釣りをやらないけれど、釣りをする人がたまに見せる情熱はすごいと思う。入っていいのかあやふやなところに入る。エサ用にその辺のミミズを掘り返す。
リチャード・ブローディガンに『アメリカの鱒釣り』という本がある。表題のとおり(そのまま)、ひたすらマス釣りと周辺の話が続く。かつてあった自然と人間の関係性。どこにでもそういうものがあって、大体は失われた。
僕たちが行ったところとは違う。小説に出てくるのはクリーク(水路)で、こちらではため池の風情だった。山のうえだから、さえぎるものなく風が吹く。持って行ったビールは早々に風に倒された。とても寒い。
何匹かはかなり大きいのが釣れた。そして、そのあとはまったく釣れなくなった。あらかじめ同行者から聞いていたとおりだった。魚の側もこちらを見ているらしい。たくさんのマスが泳いでいる。
もう少し暖かくなれば、待つのもよかっただろう。ビールを倒す風も吹かない。マスが忘れるまで穏やかに過ごす。今年の冬は割としっかり寒いようだ。