内心のホールデン、「幸福な死」

電車でよぼよぼの爺さんが席を譲ってもらえず、杖をついて立っている。たまに電車の揺れに合わせてよろめく。そういうのを見ると、うまく組成されなかった世界に責任の一端を感じて傷つく。心のなかのホールデン・コールフィールドが、案に相違して歳をとっても去っていかなかった。

 

それでもかつてのような、身も蓋もない焦燥はおぼえない。そういう人はいるし、案外多いし、気がついていないとか優先席でないとかの合理化もできる。しょうがないとさえ言える。みんなが鈍くなっていく。大人のそんなところにイラついていたはずなのに、やはりどのような形かで大人は大人になっていく。

 

後輩と昼を食べた。人と会うのは好きだし、わりと好かれるほうだと思うけど、誘って相手がどう感じるだろうと考え、外出したら本も読めないしと不精になってしまう。たまには出ようと、特にその日には思う。

 

カミュ「幸福な死」

カミュの生前には未発表の小説で、巻末の解説によると失敗作の扱いらしい。冗長で繋がりのない展開、唐突な比喩の連続で、これが傑作扱いだったらどう考えればいいのかと思っていた。安心した。同じ人が「異邦人」みたいな歴史に残る傑作を書くのだから、溢れる才能にも達成し難いときはあるのだろう。