見えないシャトル

久しぶりに全力で走る機会があり、体が重たくなったことを感じた。日頃運動はしない。大人は普通走らないから、と合理化を図りたくもなる。太りたくないとは思う。

 

茂木健一郎「意識とはなにか」を読んだ。主観的経験の最小単位(見たり聞いたりすることの感じ)であるクオリアの継続性が、相手によってとか時間を経て変わっていく自己の同一性を把握させる、みたいなことが書かれていた、と思う。

 

つまり、青空を見て、その青空から受ける感じを今までと同じと思うからこそ、日々変わりゆく自分を過去の自分と同じだと思える。その定量化できない『感じ』は、人工知能みたいな機能主義的方法では定義できない、らしい。ややこしい本だった。

 

辻堂のテラスモールでルームフレグランスを買った。CULTIというブランドのもの(店はアクタス)。250mlで1万円近くした。すごく高い。6畳くらいの範囲向けと説明してもらったけど、リビングでも十分に足りる気がする。2ヶ月くらい使えるらしい。

 

そのあとはフードコートでカレーを食べた。店はいろいろあるのだから次は別のものを食べようと思うのに、結局カレーを食べてしまう。カレーが好きだし、テラスモールのカレー屋はとりわけおいしい。次もカレーを食べるだろう。

 

帰り道、近くの公園で暗い中、学生くらいの男女がバトミントンをしていた。暗いから全然できていない。シャトルなど見えないのだ。でも大学生くらいの頃はそういう不合理を好むし、わざわざ楽しもうとさえするよね、と思った。思ったけど、僕はそんなことをしたことはなかった。たまに誰かと会えば、強迫観念に駆られたように泥酔するまで飲んでいた。夜明けは遠かった。