100年前の閉塞 『ダブリンの市民』 - ジェイムズ・ジョイス -

現代は閉塞感に溢れた時代のように言われる。実際に資本主義の行き過ぎ(格差の拡大や異常な能率主義)やグローバリズムへの反動(民主主義の空疎化)などはどこかで巻き返しが必要だろう。ただ、閉塞感はいつの時代にもあるのだと思う。昔はよかったともなる。ノスタルジーは資本主義の亡霊なのだ。

 

そうは言っても、『ダブリンの市民』で書かれる、1900年頃のアイルランドの閉塞感は強烈だっただろう。数百年に及びイギリスの支配を受け、半世紀前のジャガイモ飢饉では人口が激減している。上流階級のプロテスタントと庶民が信仰するカトリックが宗教のレベルでわかれ、日常的にはアイルランド語ではなく英語が話される。そのうえ中流階級のなかでも、教育のレベルや職業の別で細かい階層区分の意識が横溢している。イギリスや大陸ヨーロッパの文化への屈折した感情も根強い。

 

そのような感覚をジョイスは『麻痺』という言葉で表している。『ダブリンの市民』は15篇の短篇からなり、3篇ずつ程度で少年期、思春期、青年期、老年期の日常的な出来事を描いている。『日常的』とは言え、どの出来事も、本人が意識しないにせよ、生涯に渡って一貫した影響を与えかねないものにも思える。少年期の現実との邂逅(老司祭の死)や、青年期の現実からの束縛(自分を縛るものとしての家族)、老年期の死の予感など。

 

文体は徹底したリアリズムで描かれ読みやすい。けれど、文末の改題を読むと、1つ1つが当時のアイルランドの閉塞的状況を反映している。解説が必要な小説だと思う。ジェイムズ・ジョイスは『ユリシーズ』を書いた作家だけど、こちらは大部なことに気後れしてまだ読んでいない。『ダブリンの市民』がおもしろかったので、読んでみたいと思う。解説はあるだろうか。