『ねじまき鳥クロニクル 第1部 - 村上春樹』

ねじまき鳥クロニクル 第1部」村上春樹

 

村上春樹が好きで、いろいろな小説を頻繁に読み直すのだけど、「ねじまき鳥クロニクル」は久しぶりに読む。1つには、けっこう大部で読むのに心の準備がいる。もう1つは、途中にかなりグロテスクなシーンがあって、読むのを躊躇していた。

 

久しぶりだったので、プロットを割と忘れていた。失業中に猫がいなくなるくらいの非日常から、少しずつ奇妙な人が出てきて、非日常性が増していく。第1部では、奇妙な人が増え続けていく。増えるだけで収束しない。

 

不登校ペシミストの女の子、電話口だけに現れるアニマみたいな女、一般論を話す預言者、苦痛の権威たる預言者の妹、そして戦争の話をする間宮さん。

 

間宮さんは、ノモンハン事件の前年の、モンゴル国境での話をする。はじめから明らかに重苦しい雰囲気の話なのだけど、それにしても驚くくらいのグロテスクな拷問シーンが描かれる。苦痛に関する、すごい説得力だった。

 

井戸の底に、天啓のように陽光が届く。

 

そしておそらく私は、そのときに感じたように、あの光の中で消え入るがごとくすっと死んでしまうべきだったのです。それが私の死に時だったのです。

 

あまり覚えていないのだけど、話はちゃんと収束するのだっただろうか。

箱根(仙石原)

箱根にいたので、温泉施設に行った。平日だけどたくさんの人がいた。

 

グループ内で、ノリの良い自分を演出しようとして、隠そうともしない、それがどうしようもなく恥ずかしい、というのを最近目にしない。存在するけれど、気づきにくくなっているのだと思う。そういうのはいつだってあるはずだ。

 

周囲にないのに勝手に想像する。そういうものは、どうしても恥ずかしい。苛立ちもする。でも気持ちはわからないでもない。人には、いろいろなことを諦めきれない時期がある。

 

フードコーナーで買うカレーはレトルトだけど妙においしい。ほとんどのことが実は変わっていないのだから、一部の人間が抱く感情もきっと同じで、救いはなかなかない。

 

午後になって天気が良くなった。山の境が一部だけ開けて、遠くに海が見えた。意外に、山の植生は杉ばかりではなかった。あちこちで紅葉していて、あるいは葉を落としていた。

 

15時頃、することがなくなって仙石原の公園に行った。公園は広いけれど、周りを箱根の外輪山が囲む。開放的なのか、四囲が迫るようなのか。

 

近所に住んでいるらしい、カップルや親子連れが遊び、老人は器具でストレッチをしていた。当たり前だけれど、どんな観光地にも生活がある。

 

30分もすると、風景は夕方になった。外輪山の斜面が照らされていた。山に囲まれているから、夕暮れが早いこともあり得る。でも、今は昼が一番短い時期だから、ただ自然なことだったのかもしれない。もう少し、と思うときに、周りが夕暮れ、それがとてもきれい。