引っ越しました

引っ越した。引っ越してみると、いろいろなものがない。照明は2つ未設置で(配線がむき出し)、一部の壁紙も貼られていない、ポストも外水道もできていない。そのうちにできるのだと思う。意外になんとかなる。ポストの代わりに段ボールを置いていて、そのことには慣れた。

 

昔の人は、「満ちればあとは欠けるのみ」と言って、押入れの壁などをわざと仕上げずにおいたりしたらしい。それのハードなバージョンだと、思えば思えなくもない。手を入れるにつけ、当分は良くなる。外構もまだだし、1年計画くらいかな、と考えていたら、先週からウッドデッキの工事が始まって3日くらいで出来上がった。やってしまえば、思いのほかあっさり仕上がるものらしい。

 

ウッドデッキは素敵だけれど、まだ一歩も出ていない。土足も何だなと思いつつ、土埃などがありそうで靴下で行く感じでもない。外用のスリッパなどがほしい。昨日今日と出来上がったウッドデッキを眺めていたら、猫の足跡がついてた。禽獣に先を越されていた。昼は見かけないので、早朝などに来ているのだろうか。

 

それからテレビのアンテナもなかった。テレビは見ないという話を設計士にしていたので、意図してつけなかったみたいだった。いろいろな打合せをして、決まったことは覚えきれなくなる。結果的に建ってみたらなかった感じになる。

 

昼、HHKの受信契約を解除した。NHKに含むところはないけれど、明らかに受信ができないのであれば解約してもいい気がする。オペレーターの人は大変親切で、住所変更も併せてしてくれた。払った金も返却してくれるらしい。別にいいのに。

 

あまりに感じがよかったので、解約しないでもいい気がした。でも見ないしな(そもそも見られない)とも思う。その間にも手続きはスムーズに進んだ。

 

夕方、スコット・フィッツジェラルドバビロンに帰る」を読む。特に期待していなかったけど、すごくおもしろい。中年になることの悲哀を、「テーブルのパンくずが気になり始めて、以降の話が頭に入らなくなる」みたいに喩えていた。それを書いたのは20代のときらしい。すさまじい才能だけど、あまり先が見えてしまうと哀しくはないだろうか。

 

パンくずどころか、パンがあるかも気にしなかった頃があった気がする。ふと気が付けば、まわりのみんなも自分もパンくずを気にし始めて、それをこだわりとか信念みたいな言葉で糊塗することを覚える。気難しさは大人の象徴で、そういうものに囚われないでいたいと思っていたのにね。パンは気になるにしても、パンくずのことは考えないようにしたいものだ。

 

夜、つながらないと思っていたネット回線がつながった。通信工事がずっと順番待ちで、ポケットWi-Fiを使っている。無制限プランにしたのに、毎日遅くなり、ヘルプに問い合わせたら3GBで速度制限がかかると教えてくれた(書いてあった)。

 

パソコンにもうまくつながらないと思っていたら、あらためて試したところ接続できた。同じWi-Fiなのだから当然だけれど。

 

たくさんあるはずだった本棚が、引っ越してみたらあまりなかった。設計士に聞いたら追加してくれた。廊下に長い机があり、足元も背後もぜんぶ本棚になった。それでも本は入りきらない。よくこんなに買い揃えたものだと、我ながら思う。

 

前後を乱雑に並べた本に挟まれていると、とても落ち着く。クリエイティブな気分にならなくもない。酒は階下から持ってきた。照明は暗い(つけていないから)。周囲に人がいない場所に家を建てた。

 

あとはポストとかができると、なおよい。