首が痛い、映画(『東京物語』)、本(『発達障害』など)

たぶん生得的に首が弱くて、定期的に痛めてしまう。首が痛いとおおくの動作が困難になる。「金がなくて首が回らない」とはよく言ったものだと思う。なにかをしようにもどうにもならない。酒さえ飲みに行けない。その間は、簡単な本を読んだり、映画を観たりしていた。

 

ところで、寝違えのときには、患部を温めたり、マッサージしたりするのは逆効果らしい。知らなかった。むしろ一生懸命やっていた。

 

東京物語 - 小津安二郎 - 』

海外の著名人のインタビューとかで、「小津安二郎はすごい」みたいなことがよく言われるけれど、あまりに古い映画で観たことがなかった。せっかくなので、一番有名な(気がする)『東京物語』を観た。とてもよかった。

 

戦後間もなくの、老親と子供のすれ違いを題材にした映画で、特に大きな事件などはない。悲しみの表現でも、例えば、笠智衆は「そうか、ダメなのか」と2度言って肩を落とすだけ。急に感情が高まって、安易に歩道橋で叫んだりはしない。

 

いくつかのシーン(例えば、東京の街を見下ろして「ここではぐれたら一生探しても会えない」と言う場面や、海を眺めて「今日も暑くなる」という場面)は、人によっては一生心に残るものだと思う。

 

人は見た目が9割

これも有名な気がするけど、読んでいなかった。内容は、コミュニケーションのうちの非言語的表現が占める割合が高い(9割)というもので、書名からの印象と違い、間の取り方や仕草なども含めたものだった。多くはよく聞く内容だった。

 

つまらなくはない。つまらなくはないのだけど、僕はよく、人が一生に読める本の数のことを考える。例えば、「年に100冊の本を読む」として、それを40年続ければ4,000冊になる。途方もない数字のようで間違いなく有限だ。

 

この有限性に対しては、主には「読む本の質を上げる」か「読む本の量を増やす」という対処がある。どちらの方法も本質的な有限性の解決にはならない。悲しいけれど受け入れるしかない。前者に寄りつつ、いろいろ読むのも良いだろう。偏らないように。という感じ。

 

発達障害 - 岩波明 - 』

人口に膾炙する「発達障害」がどういうものかの基礎がわかる。そもそも、いわゆる「発達障害」が「注意欠如多動性障害(ADHD)」「自閉症スペクトラム障害ASD)」などを包括した概念だということを知らなかった。

 

今まで、両方の症状を併せ持って「発達障害」と定義するものと思い込んでいた(そういう人も多いとのこと)。繊細な問題なので、特性を理解したうえで、余計なことを言わないのが成熟した態度なのだと思う。

 

 

以上です。首が治ってきたので、酒を飲んだりしたい。