『太陽・惑星 - 上田岳弘』

テクノロジーの話を聞くのが好きだ。成果であるところの製品はそうでもないのだけど。スピーカーと会話する必要はないと思うし、エアコンの操作は自分でする。ただ、技術の粋を尽くした先がどこに繋がるのかを考える。普段使わない類の想像力を喚起してくれる。

 

前にレイ・カーツワイルという科学者の、AIに関する著書を読んだ。それによると我々の知能をAIが超えるのはそれほど先のことではないらしい(確か2040年くらいの予測だった)。AIが我々を幸福にするかは担保されない。ただ、人工知能の開発を完全にやめることはできない。そんなことをしても、出し抜こうとするテロリストや権威主義国家はいつでも存在するだろうと。もはや安全保障の話だった。

 

ところでカーツワイルは、近い将来の不老不死の到来を信じているらしい。自分が先に死ぬことがないように、毎日100錠単位のサプリを飲む。そして自分の父親の記録を大事に残し、AIが復元する父親の人格との対話を心待ちにしているそうだ。情愛とテクノロジーの混ぜっぱなし。小説でもあまり見かけない個性と思う。

 

この本でもテクノロジーの話をしている。小説の形態を通すことで、テクノロジーに人格が関与する。なんとも言えない人格たちだけど。主要な登場人物のアフリカ人の天才が、世界の3つの段階を予言する。

 

①第1段階

今の世界。不公平や偶発性にあふれている。そのアフリカ人は赤ちゃん工場を作って子供を売っているが、子供のその後の幸不幸も偶発性のうちにあると主張する。自己の罪悪を潜在的にさえ認めない。

②第2段階

不老不死が達成され、人間はすべての感情を通過されうるチェックポイントと見なす。そこにはもはや偶発性はない。すべてのチェックポイントを通過した人間は自死を選択することもできる。

③第3段階

第2段階を乗り越えようとする人間たちにより、偶発性の復権が果たされる。

 

作中では第2段階の終盤で、太陽の核融合を金まで進めるという個人の妄想の過程で世界がほろびる。ほかの人間はそれを経験されうる状況として特に抵抗せず受け入れる。第3段階は到来しない。

 

実際、テクノロジーの先で、僕たちがどのように振る舞うかはわからないと思う。もし実効性があるとすれば、産業革命期に機械を壊してまわったラッダイト運動を再興することもできるだろう。でもそんなことで流れを変えることはできない。せめて小説でも読んで想像してみてもいい気はする。