引越しをして、ネットに繋げる環境がなくなった。転居の手続きをしたら、最短の工事は1月以上後になる、でもなんとかなるかもしれないから待ってほしい、と言われてからかなりの日数が経った。家でネットに繋げないから困るということもない。ないことには容易に慣れる。冷蔵庫には慣れない。家に巨大な冷蔵庫があることの違和感。電子レンジにも洗濯機にも、蛍光灯にも出勤にも、ふとした時に拒否したくなる感情がある。最後のが一番ある。そして一番御し難い。

 

今はスタバにいるのでWi-Fiに繋がる。ネットができる。暮れていく横浜スタジアムと、関内の道を行く車のテールランプを眺めながら、持参したMacBookでインターネットをする。誠に鼻持ちならない人間のようだ。ただ、僕にはヤフーニュースを見て、アップルミュージックから音楽をオフライン用にダウンロードするくらいしかやることはない。本当のこのような環境に最適化された人間ならば、ノマドならば、こういう場所で何をやっているのだろう。生産的な何かか。生産て何だ。

 

時事的な話を書いておこう。今日は、どこかのアメフト部の反則行為の話題が頻繁に交わされるよう。こういうのは後々に目にすると楽しいから。楽しいのか、懐かしいのか、寂しいのか、それはその時による。過ぎたことを目にしてどう感じるか。意味のないことばかり書いてあるな、と思うのが大体。たまには取り戻し用のないものの数々を目の前にして愕然とすることもある。蓋をして置いたはずのものが飛び出している。あとのニュースはよくわからない。わかったとしても、懐かしい気持ちになれそうなものは見当たらない。

 

スタジアムの公園で子どもが遊んでいる。なぜこんな時間に。もう外は暗い。あの子たちは昔のことをふとした時に思い出して、悲哀を感じるだろうか、それとも暖かさだけを身内に感じるだろうか。人間同士は話せばそれなりには分かり合えると思う。それでも自ずと限度があって、たまに前提が異なる場所に立っているということもある。たまに、というか頻繁かもしれない。