夕食をとって、リビングの椅子に座って白熱灯の下で本を読む。1日が終わるのを待っているみたいだ。なぜそういう気持ちになるのかはわからない。時計を見る。この先の1時間半を何をして過ごすか決めないといけない。考えようによっては寝るまでに残された時間はそれくらいしかない。人には基本的に働く必要があるのだから。じゃあなぜこんな風に、明日を待つような心境でいるのだろう。間違いなく、仕事を楽しみにしているわけではない。

 

それは思春期の子供が何か楽しいことがないかな、と思うあの気持ちからそれほど隔たっていないのかもしれない。校庭の隅やコンビニの前で変化を予感していた。そして決定的な変化が誰をも何者かにしてくれる。大人はパソコンのキーボードで指先から摩耗していく。薄っぺらなのではなく、削られていっているのだ。

 

今日も、これから30分もしたら繰り返される摩耗に向けて家を出る。人生を理解する。それはかつて感じていたほどに悲観するものでも、歓迎できるものでもない。少しずつ鈍くなっていく。そして静かになる。遠くまでずっと広がる草原みたいなものだ。悪いものでもない。視界の果てには燎原の火。