季節性情動障害の思い出

冬になると太陽の光が弱くなって、物理的変化に精神が感応しちゃって、その季節だけ落ち込みやすくなることがあるらしいね。という話を後輩の女の子としていて、「具体的にどういう状況で落ち込むんですか」と聞かれて驚いた。落ち込むのに、具体的な原因があると考えたことがなかったからだ。

 

正確に言えば、確かに理由はあることが多い。うまく会話ができなかったとか、1日をぼんやり過ごしてしまったとか。けれど、そういう時期には、最善の手を常に選び続けたのでもなければ、結局のところどこかでしょんぼりしてしまうのではないだろうか。誰かに勇気を出して連絡をできなかったとか、その程度のことでもだ。

 

というようなことを、冬でも全く問題なく、元気に過ごせるようになってしまった僕でも思った。今が同じであっても、これまでに過ごしてきた時間の差というのは、人間の感じ方に断絶を生むのであろう。むしろ一層埋め難いものだろう。なにせ断絶は過去に起因しているのだから。

 

太宰治に夢中になる学生時代を送った僕は、落ち込みやすいなんていうのは、女の子に対してちょっとした長所くらいに思っているところがある。「ああいうのには理由がないから」とか言ってしまう。この人は何を言っているのだろう、みたいになっていたかもしれない。今になって、時間が経ってから悔やむこともできそう。

 

少しダウナーに振る舞うのが長所だと思っていた時代があった。今じゃあ理解はできないけれど、誰かがそうだとしたのなら、僕はそれを知っている。そして、いくらかは羨ましいと、今でも思っている。