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夜と川

今日という日を、4月最後の日である日曜日の午後を、ゲームのプレイ動画を見ながら、半分寝たまま過ごした。過ごしてしまった。ニコニコで動画を見ていると大体眠くなる。そういう問題ではない。おそろしく無駄な時間を過ごしているという感覚がすごい。

今は午後の6時半。これから何かをするのは困難だ。二時間かけてどこか明るい街に出ても、もう完全に夜だし、明日のことを考えてしまう。家路につく人たち、商店は閉まっていって、1日の終わりにあることを意識する。

そういう時間帯がかつては好きだったのだけれど。例えば、夜の隅田川沿いとか。たくさんの集合住宅と明かり。意外に足元は暗い。クラクラするくらいの数の人間が生活をしているはずの一帶で、すれ違うのはほんの何人か。屋形船が係留されている。使われているのを見たことは、確かなかった。

僕が現在住んでいるのは田舎だ。だから、ちょっとした気持ちで外に出る気にはならない。そういうことにしておこう。遠いところに行くのには理由がいる。昔から必要だったのかは、はっきりとは思い出せない。

夜は深くなればなるほど、誰かが相対化される蓋然性を減らす。なぜなら人が減るから。

僕は風呂場でこれを書いている。風呂に入りながら日記を書くおかしさへの自覚はある。それはとにかく、僕が今ある環境というのは、自宅の風呂場で浴槽のなか、かなり内にこもった状況にある。そこから隅田川のことを考えている。物理的には100キロ近く離れた、小さな矩形の中で。

100キロ先の川沿いの道に、この瞬間に意味もなくブラブラしている人というのがいるのだろうか。少し早く来すぎたかな、と考え、川の対岸を眺めて、彼には(女の人でもいい)地理の知識がまったくないものだから、そこが東京都のどの辺りに当たるのか分からない。倉庫と高層マンション。たまに見かける野良猫は前者に属している。だから、そのうちに見かけなくなるはずだ。川面に浮かぶ歪んだ生活の明かり。

もし誰かがこれを読んでいて、今が夜で都会の只中で、僕と似たようなことを感じる人間なのであれば、たった今においてはあなたは特別な存在なのだと思う。僕は浴槽の中からそれを期待している。