バランタインの30年ものを飲ませてもらった。値段を聞いて驚いたけれど、もらうものだから関係ない。タダで飲む高級酒は最高の味だった。なんらかの沈殿物がふわふわしていて、あれはおそらくオークの樽の一部、木がうまかった可能性すらある。普段はラフロイグの、年代が付いていないものを飲んでいる。自慢に思っていたそれも、高級酒の余韻の後にはしょんぼりした感じになる。誰かが毎日、いい酒を飲ませてくれないかな、とか考え始める。そして頭が痛い。昼から飲んでしまったから。

明日は本来だったら祝日だった可能性がある。祝日法の土曜日だったら振替はしない、という決まりには心の底から失望する。だけど、僕は祝日とかを今ひとつ把握していない。もしかしたら、明日はただの土曜日かもしれないし、祝日法に振替の規定などないかもしれない。そもそも、そんな法律が本当にあっただろうか。狂っているのは彼ではなく、もしかしたら貴方なのかも、みたいな。すべての位相は容易にずれ得る。

 

今夜も特に書くべきことはない。そんなことを言ってしまえば、すべての日常に書くべきことなんてないのだけど。つまり、それは自分のために記録するべきこともなかった、という意味で。

 

切り倒した樹から芽が出てきたのを見る。切り倒すときに残しておいたのだ。伐採してからしばらくして、昔、その樹のそばで遊んだ頃の夢を見たという老人が職場を訪ねてきた。また立派な樹になる頃には死んでるでしょうけどね、とその人は言っていた。でも、そんなのは今いる誰にだって一緒だ。ていうか死んでおかないと困る。人も樹も。当然ただの偶然だろう。ただ、切り倒される古い樹というのは悲しい風景だったから、その贖いにはなった気がする。青空に、徐々に伐採されていく枝の空白は、思い出しても見栄えがしていた。

職場の後輩が、仕出し弁当を取り違えて、他人が頼んだものを食べてしまったようだった。話としては割と笑える。でも、間違えた側にしたらたまったものではないのかもしれない。その子は落ち込んでいた。他人の頼んだ蕎麦は美味かったかい、と聞いてみた。あまり反応はなかった。僕はそういう時に、意地悪とも気を使ってるとも取れるようなことを言いたくなる。実際のところは、そのどちらでもある。

 

日中は暑くてしようがない。物置になっている部屋から、古い扇風機を引っぱり出して使った。涼しかったのだけど、首振りが左向きになるあたりで、小動物の死に際みたいな音が鳴る。とても気になる。死なないで良いものを背中に死なせるのもな、と思ってしまうのだ。夜は寒くなった。この時期の気候は忙しい。扇風機を止めた。小動物の命が1つ、長らえた。明日も暑いらしいので、頑張ってもらおう。

仕事をしていると、毎日のように何々はどうなっているか、というようなことを聞かれる。それに対しては大体、夕方までにはやります、などと言ってお茶を濁しているのだけど、近頃は何について約束をしたのわからなくなりつつある。深刻な催促を受けたことはないので、ある程度は思い出せているのだろう。それか、相手が我慢している。僕は忘れていて、新しい約束をする。軽微な催促は頻繁に受けているのだ。基本的には仕事は断らないし、それでイーブンてことでいいと思う。

 

夕食の後に家の近所を歩いている。特に意味はないので、昔、信号のような光を放っていた巨大な鉄塔が今はただ建っているだけになったのを眺めたりする。他にも目的のなさそうな歩みをしている人がいる。それが僕の心情の投影なのか、それとも実際にそうなのかはわからない。決して理解し合うことはない。以って生きることを是とするか非とするかは人によるだろう。僕と同じようなことをあの人も考えているかもしれない、と思う。実は僕は重要な手紙を投函しに行く途中なのだ、と考える遊びなどもできる。書いたことのない手紙の、しかも重要なもののイメージだ。

 

なぜ相互に不理解が生じたのか。互いの見解を交換し合う機会は持てなかったのか。喪失についてどう考えるか。手紙にはそんなことが書いてある。喪失に関して言えば、事後に行われるほとんどの行為は無意味だ。あるいは、書く人の心をいくらかは癒すかもしれない。手紙を書く準備はしておこうと思う。何よりも、精神的な遊びの役には立つのだから。

特に何もない1日。職場の夏休みがまだ残っていたので、午後を休んだのだけど、それでも何もなかった。今さら夏ということもないだろうとも思う。近所の神社で鯉にエサをやった。散歩した公園などはヤブ蚊がとんでもない数でほとんどいられなかった。道祖神は雨に穿たれて顔がなくなっている。宗教上の深刻な諍いでもあったかのようだ。実際には、スピードを出しすぎた車がたまになぎ倒すくらい。しばらくすると誰かが立て直して元どおりになる。あまりに頻発するとポールでガードされるようにもなる。平和な土地。蝶とトンボが飛んでいた。今が季節のいつの頃か分からなくなりそう。木立の向こうを走るけっこうな音量の電車の通過に驚いたりもする。何も起こらない。時間が淡々として過ぎていく。

昨夜は台風で激しい嵐だった。雨樋がたまに雨を処理しきれなくなったような、コポンコポン、という音を立てていた。遠くから波の音が聞こえた。ここら辺に住み始めた頃はその音が波だとわからなかった。ずっとザザザザ、と言っている。白黒テレビの放送終了後の砂嵐みたいな音だ。聞いたことはないけど、多分そんな感じ。外は嵐でも、意外に普通に眠れる。雨戸を閉めてしまえば、雨音はかすかに聞こえてくる程度。そのくらいの雨の気配は、むしろ眠くなる。毎日降っていれば、安眠が習慣になるかもしれない。

 

目が覚めたら、嵐のことはすべて忘れたように晴れていた。空は限りない青。でも、その辺を歩いていると、マンホールから水が逆流し、その辺を小川みたいにしていて、大雨をふいに思い出させる。海に行けば、台風で打ち上げられた途上国の木造漁船とかが見られるかな、と思った。実際に行ってみたのだけど、波濤はまだ高く、砂浜は洗われきって、木片一つ落ちていなかった。普段よりよほど綺麗なくらいだった。工夫のない映画のラストシーンみたいな波だった。太陽はじりじりと腕を焼く。タバコを1本吸った。それから帰った。何も変わったことはない。途上国の木造漁船は無事に係留されている。

健康診断の結果、心電図に心室性期外収縮とか不完全右脚ブロックなどの緊迫した感じの異常所見が並んでいた。調べてみるとそんなに深刻なものではないようなのだけど、それでも嫌な気持ちにはなる。いつもより心臓の存在を意識してしまう。あと、ちょっとかっこいい異常所見だな、とも思う。名前がすごい。期外収縮、右脚ブロック。つい口にしたくなる。

 

キャンプがなくなった途端の3連休のやることのなさ。残業をしながら急に飲みたくなっても、そこは山の中。誰かを気軽に誘うことはできない。じゃあ、横浜で、となっても出るのに数時間単位の時間がかかる。どこかへ行きたい。時間が残っていないかもしれない。胸が痛む。それは気のせい。そして楽しめる。概念として文学的な気がする。