秋になって、夕方に寂寞とした雰囲気が漂うようになった気がします。一般的に洒落た響きのありそうな市に住んでいるけれど、住居は山間部の方なのでそういったものとは無縁であり、山の向こうに太陽が沈んでいくのを眺める。少し前までは、これでようやく涼しくなる、と感じたけれど、すでに暑さもないこの頃は、ただ一日の終わりを感じさせる。空が高くなって、残照が映える。

 

近所の神社でお祭りをやっていました。薄汚くなった壇に、何年前から渡していないのかという景品が並ぶ輪投げ、やってみたけれどとても入るようには思えない。それなりに流行っていました。並ぶ提灯と、特に心踊らない屋台の連なり。すぐに帰ってしまったけれど、9時くらいに窓から見てもまだやっているようだった。祭りをすっきり終わらせるのは難しいと思います。そろそろ終わってほしい、というのと、これで仕舞いなのが惜しいのと。そして最近は、その時間までいることがなく。

台風で倒れた街路樹は輪切りにされていました。倒れた街路樹のあとはどうするのかと思います。新しい樹を植えるにも、並びで1本だけこじんまりする不揃いを思い浮かべ、かといって間が抜けたままにするというのも、空白が目立つ気がします。「無い」ということが強く主張される。信号機は斜め上を向いていました。これは早晩直されるのかと。

 

昼に後輩とカレーを食べたのだけど、夜も気がついたらカレーを食べていました。カレーはすごいと思う。何度食べても美味しいのだから。

台風は朝には去っていたのだけど、電車が止まっていると同じ地域に住む友人から聞き、コーヒーやら本やらで時間をつぶして午後から駅に向かったところ、まだ入場規制されるほどの混雑でした。街では街路樹が根元から倒れていたり。嵐には何だか心が踊るものがある。家にいるということに妙な安心感を得ます。

 

司馬遼太郎の「殉死」という本を読みました。乃木希典のことを書いた本です。愚将扱いされることの多い人だし、この本もそういう筆致なのだけど、書いた人が対象を必ずしも嫌いではないのだろうなと感じさせられる時がある。揺れる。小説として十分に面白い。あとはデジタルカメラを買うか迷っています。オリンパスのPENが欲しい。理由はデザインが好きだから。機能面はよく分かりません。機能は従属的な要素だと思っています。

市営プールに行きました。昼間はとても暑くて、プールサイドを歩くにも足の裏が熱く堪え難いほど、今日で終わりにする必要なんか感じないけれど、3時くらいになって日が陰ると途端に涼しい、というか肌寒いくらい。水に頭まで浸して見上げる空で、雲はくっきりと、輪郭まで見て取れる。まだ点いてはいない街灯のカバー、何年も放っておかれた風情の向こうに見える。来年の夏が来るまで、使われることのないプールとその周辺を照らすのでしょう。夏が終わったなと思いました。

 

夏が終わるとどうにも感傷的な気持ちになります。ただ、今は台風が来ていて、景気のいい雨と風。感傷なんて何にもならない。また来年。バイバイ。

東京の北のほうで酒を飲んできまして、はじめて行くところだけど前々からその辺りを歩き回っていたような、街全体が古い雰囲気だったのかと思います。結構飲んだのに安かった。

 

最寄駅から家に帰る途中、普段通らない道を選んでみて迷子になる。方向の感覚で鈍いせいで、頻繁に迷う。真夜中の、閑静な住宅街、場合によっては学校の脇や田畑に沿って進んでいるうちに、戻る形で線路沿いに行き合ってしまう。自転車をこぐ時の、ギアが擦れるような音と秋の虫の声だけが聞こえる。そのうちに、これは全部夢なのではないかと思いました。恐怖というのが違和感から生まれるのだとよくわかる。小さな違和感が積み重なる。ないはずの急な坂を登る。また線路沿いに出る。

 

ふと気がつけば、迷ったときにいつも出る道。近辺の全ての迷子がこの道に続いている。なにせその向こうには川がありますから。

何年か前に読み、意外におもしろかったと記憶している、ルネ・ドーマル「類推の山」という本を再読中ですが、今のところ訳がわからない。この後に「意外」におもしろくなるのだったか、それとも感じ方が変わったのか、あるいは、そもそもそんな風に感じたことなんてなかったのかもしれない。そういうことは多分ままある。坂を下って大きめの商店街で雨に降られたのは本当にあったことなのだろうかと、ふと考えたりしていましたが、先日、ひょんな事でその街に行くことがあり、ああ、では確かに行ったのだな、と。でもそれさえもテレビで見た映像なんかが、僕の想像する光景とないまぜになって生み出されたものかも分からず、そういうものが日々を経るごとに増えていく。

喫煙所で会う人が紙巻のタバコになっていて、電子をやめたのかと聞くと、今週だけ、と、奥さんには内緒にしているというのを聞いて、これは前にも聞いたことかもしれないと思います。たぶん、相手も前に話したと感じていそう。その場では楽しく聞くし、家での情景を思い浮かべたりするのだけど、しばらくして忘れる。趣向を凝らした素敵な置物があって、手にとって眺めて感心し、それからそこに置くような、話を聞くのは好きでも、定着はしない。不思議です。

 

少し前に話題になった「火花」を読みました。そういう気持ちで読むと、あらかじめハードルが下がっている。でも面白い本だったはず。

 

電話がよく鳴る日だったけれど、今日は話すのが得意な一日。そういう日に限って、たくさんかかってくる。今日はだいじょうぶだと思いました。物事がすごく、あるべき場所に収まっていく感じで、そんなのは本当ではないみたいな。